武井壮さんは26歳の時、台湾のプロ野球のチームでコーチを務めました。
その理由は、プロのレベルの野球を勉強するためです。テレビで扱われることの多い野球に詳しくなることで芸能界での武器になると考えたのです。
武井壮さんが野球の実績がない状態から、プロ野球のコーチになった方法や経緯は何なのでしょうか?
気になる武井壮さんのエピソードや野球を学んだ結果どうなったのかを紹介します。
武井壮が台湾プロ野球チームでコーチをした理由
武井壮さんが台湾プロ野球リーグでコーチをした理由は、野球をプロのレベルで勉強するためです。
何とか潜り込めるところはないかと探していたところに、台湾プロ野球でコーチの募集があったのです。
野球の実績はありませんが、陸上十種競技の経験が認められ、コーチの審査に合格します。
そして、武井壮さんは2001年1月から2月に台湾プロ野球リーグの中信ホエールズというチームで冬季キャンプの特別コーチを務ることになったのです。
武井壮が台湾プロ野球チームでとったずる賢い方法
武井壮さんは台湾のプロ野球チームにコーチで入ったのですが、プロの野球を経験したかったのです。
そうするために監督に、練習メニューは選手の疲労度を知らないと組めない。自分も練習を一緒にやらせてもらう、と申し出ます。
それを監督は快く受け入れ、むしろ「そんなコーチ聞いたことない」と武井壮さんを褒めたたえます。
結果的に、武井壮さんはプロと同じ練習を受けることが出来、野球が超上手くなったと言います。
武井壮がコーチングした台湾の野球チームは強くなった?
武井壮さんは、小・中学生時代に野球の経験はありますが、プロのレベルでの実績はないままに台湾へ向かいました。
というのも、武井壮さんは、陸上十種競技の経験を活かしてフィジカルやランニングのコーチとして就任したのです。
武井壮さんが僅か1か月コーチングした結果、見事にチーム全員の足が速くなり、盗塁が増えたそうです。
武井壮さんは、武井壮さんが教えれば誰でも3か月あれば10秒台で走らせられると豪語しています。
武井壮が野球を勉強した理由が泣ける
武井壮さんは、俳優の志半ば亡くなった兄のリベンジで芸能界に入ることを決心していました。
30歳までは本気でスポーツやって自分の夢叶える、30歳過ぎたら兄貴の分のリベンジを俺がする
【中編】武井壮・坂上忍との因縁/末期癌で若くして他界した兄の想いを背負い芸能界へのリベンジ
そこで、当時テレビでやるスポーツ番組のほとんどで野球が扱われていたので、プロレベルで経験しておかないといけないと考えていました。
その結果、台湾のプロ野球のコーチという形で、プロレベルの野球を勉強・経験することにしたのです。
武井壮が台湾でプロの野球を学んだ結果
武井壮さんは、台湾のチームでコーチをしながら、自らプロレベルの野球を学ぶことで野球がかなり上達しました。
「助っ人外国人として登録」という話も出たのですが、流れてしまい帰国します。
しかし、その頃ちょうど、欽ちゃん球団こと茨城ゴールデンゴールズの入団試験がありました。プロの野球学んだ武井壮さんは合格し、選手として1年間活躍しました。
また芸能タレントとなった際には野球の経験を活かして、冠番組を持ったり、始球式に登場したりしました。
まとめ
武井壮さんは、陸上十種競技の経験を活かし、台湾のプロ野球チームのフィジカルのコーチに就任した。
台湾のプロ野球チームには、兄のリベンジとなる芸能界での活躍に必要な野球を学びに行った。
たった1か月でコーチングでは結果をだし、武井壮自身は社会人球団で活躍したり、芸能界で知識を活かした仕事をした。
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